南瓜の代名詞、「タキイ交配えびす」南瓜
南瓜の話。これが又ややこしい。長くなりそうだなぁ~。
日本で南瓜(カボチャ)と呼ばれている野菜は大きく分けると3つに分けることができます。
ニホンカボチャ・セイヨウカボチャ・ペポカボチャの3つです。
現在、私たちが普段食べているのはほとんどがセイヨウカボチャの系統です。ニホンカボチャは鹿ケ谷南瓜とか菊南瓜南瓜とかの系統で、ペポカボチャはズッキーニやそうめん南瓜などの系統です。
「そうめん南瓜(金糸瓜)」「タキイ交配はやと(菊南瓜系)」「ダイナー(ズッキーニ)」
これらが別々の種に分けられているのは、種間の交雑が自由に行われない事による。(全く行われない訳ではないらしい。交雑種もたくさんあって、それが話をややこしくしています。)まぁ、詳しい事は別の機会にでも・・・。
南瓜の起源は、ニホンカボチャはメキシコ南部から中部、セイヨウカボチャはペルーからボリビアにまたがる中央アンデス高原、ペポカボチャはメキシコの高地が起源だと考えられています。
南瓜(カボチャ)は別名南瓜(ナンキン)とも呼ばれ、中国から伝わった(南京からの連想)ような感じがしますが、カボチャはカンボジアのなまりで、でもカンボジアから伝わった訳では無くて、1549年にポルトガル人が豊後(大分県)の戦国大名・大友宗麟に貿易の許可を求めた時、カボチャを献上したのが最初の伝来と言われています。まぁ、ポルトガルから伝わったとするのが良いのでしょうね。そのポルトガル人がカンボジア経由で来たのかも知れませんが・・・?
それでもコロンブスがアメリカ大陸からヨーロッパへ南瓜を伝えてから50年足らずで日本まで伝わってしまったのは驚きですね。
まぁ、とにもかくにも、この時代に伝わったのが、いわゆるニホンカボチャの系統です。
江戸時代に大分から九州一円へ、それから西へ西へと栽培が広まって行ったようです。江戸に広まったのは18世紀初頭のようです。
セイヨウカボチャが日本で栽培され始めたのは明治初期で北海道だったようです。「ハッパード」と「デリシャス」の2系統が選ばれ、主に栽培され、それが今日のセイヨウカボチャの元になっています。
「まさかり1号(福泉交配)」ハッパード(まさかり南瓜)の系統
「ハッパード」がまさかり南瓜、「デリシャス」がカステラ南瓜と呼ばれていたようです。
ペポカボチャはそうめん南瓜が明治後期から大正初期にかけて導入されたのが始まりで、ズッキーニが1980年頃で、割合と最近ですね。
最近では「えびす」よりも高粉質系の「こふき(ナント種苗)」や「ほっこり133(タキイ種苗)」「九重栗(カネコ種苗)」などのタイプが人気があるようです。
「こふき」 「ほっこり133」 「九重栗」